(聖神降臨祭後)第4主日

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7月8日(土) 16時30分より山田教会信徒会館にて聖歌練習。17時30分より第4主日晩課(山田正教会 生神女福音会堂)。今年は7月に入っても肌寒い岩手県沿岸部。信者さんのなかにも風邪を引いた人がいるようです。
山田教会のイコノスタスには、ペトル佐々木巌が神学生時代に書いた天使ミハイルとガウリイルのイコンが掲げられています。ペトル佐々木は神学校卒業後ギリシャに渡り、請われてフィンランドでイコン画家として活躍しました。北鹿教会の釜谷輔祭さんの叔父さんに当たります。
よく「山下りん、山下りん」って言うけど、確かに山下りんは日本人初の女性西洋画家、イコン作者としてすごいとは思いますが、イコン自体はペトル佐々木の書いたものの方がはるかに良いと思う。
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7月9日(日) 9時30分より第4主日聖体礼儀。参祷者5名。
福音書の読みはマトフェイ福音書8章5節から13節。
説教は「 わたしたちは今日、驚くべき人に出会いました。彼はローマの百夫長、100人の兵士を指揮する軍隊の隊長です。当時、イスラエルの国はローマ帝国の支配下にあり、軍隊が駐留していました。
イイススについてきた人々は、自分たちイスラエルびとだけが神に選ばれた民族であると思っていました。それなのにイイススは突然現われた外国人であるこの百夫長を「イスラエルびとの中にも、これほどの信仰を見たことがない」とほめたたえ、それまでイイススについてきたイスラエルびとたちに向かって、「多くの国の人々がアウラアム、イサアク、イヤコフと一緒に神の国に入れられる。しかしこの国の子たちは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯噛みしたりするだろう」と言われました。
神に国に入るために必要なのはこの百夫長のような信仰であるとイイススは言われたのです。わたしたちも、この信仰を自分のものとしなければ神の国から追い出されるかもしれません。
 百夫長は、自分のしもべの病を癒してもらうために、自らイイススのもとにやってきました。当時の常識では、しもべは口をきく道具としか思われませんでした。重い病気にでもなれば、ほおっておくのが常識でした。しかし、百夫長はこのしもべを愛し、病気を治してやりたいとできるだけのことをしたのです。
 それに、百夫長といえばそうとうの地位でした。ローマびとからも尊敬されていましたし、ましてや一般のイスラエルびとたちがおいそれと話し掛けることなどできないほどです。そのような人が、自分たちが支配しているイスラエルびとで、しかも貧しい大工の息子であるイイススのもとに、自らやってきました。自分の兵士を遣わしてイイススを連れてこさせるくらいが、地位から言えば相応しいことだったでしょう。
百夫長は、常識であればほおっておいて当たり前のしもべの病を癒すために、自分の高い地位にはふさわしくないにも関わらず、自ら出かけていったのです。イイススがほめたたえた百夫長の信仰、そこには驚くべき愛と謙遜があります。
 イイススは百夫長が頼みもしないうちに「わたしが行って癒してあげよう」と、言ってくださいました。なぜなら、イイスス・ハリストスこそ、とるにたりないわたしたちの病を癒すために、神でありながら自ら天よりくだり、人間となられた方だからです。
だからこそ、イイススは百夫長に対して「わが意を得たり」とたいへんに喜ばれたのです。神が人間になったという、とほうもない愛のわざ、大いなる謙遜に、この百夫長は知らず知らずのうちに倣っていたのです。
 百夫長は「主よ、私にはあなたを家にお迎えする資格がありません」と答えました。しかし彼は神の国の宴席に与ることを約束されました。わたしたちが家、自分の霊と体を、神を迎えるにふさわしいとうぬぼれるなら、神の国の宴席から追い出されてしまうでしょう。
 金口イオアンは、「いくら良いことをおこなっても、謙遜がなければすべて壊れて無駄になってしまう。謙遜は信仰の土台であって、謙遜がなければ砂の上に家を建てるようなものである。だからハリストスは最初の説教を始める時に「心の貧しき者はさいわいなり」と教えられたのである」と言っています。」という内容でした。

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